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戦国武将に学ぶ -医学・健康法を知るものが 勝ち残る [感銘]

今朝23日の【中日新聞】さんのコラムにて、興味ある記事を見つけました。

岐阜県医療センターの名誉院長を務められている 渡辺佐知郎先生の
連載-ぎふ養生訓-179 のなかで「戦国時代の外科医療と島津義弘」という
お話を書かれています。

関ヶ原の戦いで西軍に付いたものの、石田三成と意見が合わず、
積極的な戦いをせぬうちに敗戦を喫し、後方に逃げず敵中突破で
戦場を離脱した事で有名な武将です。

記事の中で、「島津義弘は優れた医療技術を持ち、腸も縫合するほど
外科に優れ、武将クラスだけでなく、身分の差を問わず部下を治療した」
と書かれ、その理由を「多くの戦いを通して命の十と差を熟知するがゆえ
に医療を学んだ」と記しておられます。

「その精神は、子孫に受け継がれ、いち早く海外の医療知識や技術を
積極的に取り入れ、薩摩が幕末に再び蘇った要因である」
と結ばれています。

戦国時代や明治以降の軍国主義下に於いて、戦による傷や救命救急の
医学は必須で、それらの技術が、武将・武士を支えていたのです。

私の行っている〈腱はじき術〉も、元々、負傷したものを立ち直らせる
武術の活法として行なわれていたものに起源があると云われています。

そんな中、徳川家康は、怪我のみならず、食養や漢方薬にも通じ、
健康食品豆味噌・麦飯を愛用し、徹底して季節はずれの物や冷たい物を
食べ無かったと云われます。
又、家康は、漢方薬の研究を行い、自ら薬の調合もしてました。

家康が天下を取り、徳川300年の基盤を造れたのも、ひとえに
健康で長生きであった事によると考えます。

家康方の勝利が決定的と云われた[大坂の陣]でも、実は、毛利輝元は、
部下の内藤元盛を浪人を装わせて大阪城に入城させ、その他の大名の中にも、
密かに兄弟や家臣を大阪に入れていたと云われます。
即ち、二股を掛けていた訳です。

これは、人間五十年と云われた時代に、七十を超えている家康が
急死する事を懸念して取った行動と思われます。

家康は、豊臣を滅ぼした翌年、「鯛の天ぷらにあたる」という
用心深い家康とは思えない亡くなり方をしていますね。
全て事を成し遂げて、気が抜けたのでしょうか!?

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